冴えかえった色彩
─梶井基次郎
 
「色にまつわる概念の論理は、一見するより遥かに込み入っている」。
ウィトゲンシュタイン『色について』
 
 梶井基次郎の作品は、日本近代文学に対して、奇妙な違和感を漂わせている。梶井は、夏目漱石や芥川龍之介、谷崎潤一郎といった作家と違い、日本近代文学史において、明確な地位を与えられていないのである。日本近代文学史について書かれた本において、言及されることは少なく、その視点から見れば、新興芸術派の一人にすぎない。ことあるごとに、論じられることはあるけれども、「今なぜ梶井基次郎なのか」というようなジャーナリスティックな対象、あるいは流行としてとりあげられることはないのである。一九〇一年に生まれ、一九三二年に死んだ梶井は、その長くない生涯の中で、さして多くない分量の短編小説と詩、戯曲などを残したにすぎず、生前、一冊のまとまった本を刊行することはなかったし、また、発表された作品とほぼ同量の未発表及び未完成の作品を残しただけであるから、そうした処遇を受けているのも、当然と言えば、当然であろう。にもかかわらず、梶井のいくつかの作品−−『檸檬』(一九二五)や『城のある町にて』(一九二五)、『桜の樹の下には』(一九二八)−−は、驚くほど、一般的な知名度が高いとともに、それらの作品に限らず、どれもが、まさに、梶井的と呼ぶしかない作品なのだ。梶井は大作家ではなかったが、確かに、名作家なのである。
 ところが、梶井の作品に関する読解そのものも、これまで十分になされてきたとは言いがたく、知名度とアンバランスな関係にあるのだ。梶井を論ずるには、これまでに発表された彼の作品をめぐる考察や研究に言及しなければならないのだが、われわれの論点と交錯するものが、残念ながら、あまり見あたらない。驚いたことに、引用するほど満足のいくものはほとんどないのである。特に、梶井は谷崎潤一郎ばりのユーモアのセンスを持っているのに、『のんきな患者』というタイトルをブラック・ユーモアと解している研究者がいるように、彼のユーモアに関する考察の実態そのものをわれわれは滑稽だと笑わざるを得ない。彼らは、梶井のことを論ずる前に、『セサミ・ストリート』でも見て、ジョークの一つでも考えたほうがいいだろう。
 シャルル・ボードレールは、『笑いの本質』において、滑稽について次のように述べている。
 
 滑稽が成り立つためには、つまり、滑稽の発露、爆発、発出が行われるためには、二つの存在がその場にいなくてはならないということ。−−滑稽がひそんでいるのは、特に笑う者の裡、観る者の裡にであること。−−しかしながら、この無知の法則に関しては、一つの例外を儲けなければならない。すなわち、自らの裡に滑稽の感覚を発達させ、それを自分自身から抽出して同類たちの娯楽に供することをもって業と化した人々は別であって、けだしこの人々の現象は、あらゆる芸術上の現象と軌を一にして、人間存在の中に、恒久的な二重性の実存、同時に自己であり一人の他者であり得る力を、指示するものである。
 
 「滑稽が成り立つ」状態に至らないのは日本の文学者や学者の能力のせいだけではまったくない。梶井は、彼らにとって、扱いにくい作家なのである。なぜならば、「日本人にはスポーツをやる気持で小説を書く気持が皆なくってね。ドストエフスキーや、バルザックはスポーツ的だよ、遊びだよ、だから俗なもんだ。どうして日本人はそういうことに気づかないんだろう」(坂口安吾『小説談義』)。この「遊び」はベーブ・ルースが体現しているようなものである。ベーブ・ルースは「スケールが大きい、一流の俳優だね。一芸に達するとは恐ろしいことだ。とにかく全力を出しきっている。スタンドプレーにしても、そのプレーは堂に入っていて、しかもその遊びが決して低くない。全力を出しきって、中味が充実していることが美の要素なんだ」(安吾『スポーツ談義』)。実際、「彼はホームランだけではなく、ストローのように細く見える足をフルに生かし、豪快なランニングや、猛烈なスライディングでも観客を沸かせ、生傷が絶えなかった」(玉木正之『プロ野球大事典』)。野球殿堂の選考委員であり、黒人リーグ野球博物館の館長でもあるバック・オニールは、肩幅が広く足の細いルースのバッティング・フォームには「何か一篇の詩のような美しさがあった」、と述懐しているし、一九二七年から六十年間以上もヤンキー・スタジアムの更衣室係をしているピート・シャーヒーは、「ベーブ・ルースだって、あんなおもしろい男はいなかったね。ちょうど子供がそのまま大きくなったっていう感じでね」、と回想している。レナード・バーンスタインはグレン・グールドを「スポーツマン的」と称したが、その意味でも、クラッシックだけでなく、ジャズも好んでいた梶井の世界は「子供がそのまま大きくなったっていう感じ」であり、「スポーツ的」なのだ。死の直前に書いた『のんきな患者』(一九三二)において、視点を内部から外部へと転換し、彼は社会的な問題への関心を抱き始めたと言われているが、この区別は十分な説得力を持つものではない。作家が視点や主題を変えるとき、文体や構成、用語も変化せざるを得ないだろう。例えば、森鴎外において、『舞姫』のような歴史小説以前の小説と『大塩平八郎』のような歴史小説との間には、文体からも、構成からも、大きな断絶が存在している。ところが、文体や構成、用語などから見てみると、『檸檬』から『のんきな患者』まで、なるほど『のんきな患者』は『檸檬』に見られる形象化といった特徴が稀薄になっているとしても、梶井の作品群には大きな変化は見られないのである。従って、『のんきな患者』における梶井の内部から外部志向への転回は不十分な読解によって導き出された誤認と言うほかない。
 しかしながら、この転回の不在を私小説特有の発展性の欠如−−志賀直哉が作家としてデビュー作から『暗夜行路』まで発展しなかったという事態−−と見なしてしまうことは、早計である。彼の作品は未熟さを帯びた私小説的な世界と異なっており、梶井は『檸檬』において、作家として、もうすでに精神的に成熟している。むしろ、梶井は作家として本格的なデビュー作であると同時に代表作でもある『檸檬』においてすでに完成していたと言わねばならない。
 梶井の小説が私小説と異質であるのは、「業苦の人」と呼ばれた嘉村磯多のものとを読み比べてみれば、明瞭となる。
 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか−−酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果として肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音機を聴かせて貰いにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上ってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
(『檸檬』)
 圭一郎は、父にも、妹にも、誰に対しても告白のできぬ多くの懺悔を、痛みを忍んで我とわが心の底に迫って行った。
 結局、故郷への手紙は思わせぶりな空疎な文字の羅列に過ぎなかった。けれどもいっこくな我儘者の圭一郎にかしずいてさぞさぞ気苦労の多いことであろうとの慰めの言葉を一言千登世あてに書き送ってもらいたいということだけはいつものようにくとく、二伸としてまで書き加えた。
 圭一郎が父に要求する千登世へのいたわりの手紙は彼が請い求めるまでもなくこれまで一度ならず二度も三度も父はよこしたのであった。父は最初から二人を別れさせようとする意思は微塵も見せなかった。別れさしたところで今さらおめおめ村に帰って自家の閾がまたげる圭一郎でもあるまいし、同時にまた千登世に対して犯したわが子の罪を父は十分感じていることも否めなかった。鼎の湯のように沸き立つ口宜しい近郷近在の評判やとりどりの沙汰に父は面目ながってしばらくは一室に幽閉していていたらしいがその間もしばしば便りを送って来た。さまざまの愚痴もならべられてあるにしても、どうか二人が仲よく暮らしてくれとかお互いに身体さえ大切にして長生きしていればいつか再会がかなうだろうとか、その時はつもる話をしようとか書いてあった。そしてきまったように「何もインネンインガとあきらめおり候」として終りが結んであった。時には思いがけなく隣村の郵便局の消印で為替が封入してあることもたびたびだった。村の郵便局からでは顔馴染の局員の手前を恥じて、杖に縋りながら二里の峻坂をよじて汗を拭き拭き峠を越えた父の姿が髣髴して、圭一郎は極度の昂奮から自殺してしまいたいほどみずからを責めた。
 圭一郎は何処に向かおうと八方塞りの気持を感じた。心に在るものはただ身動きの出来ない呪縛のみである。
(『業苦』)
 梶井の登場人物の陰鬱さは嘉村磯多の登場人物の業苦と根本的に違うことは明白であろう。嘉村の作品は狭く出口のない世界を呈し、想像力が知覚を支配して、登場人物は、たいした理由もないのに、その世界そのものにおしつぶされそうになっている。一方、梶井の作品の世界は決して狭くはないし、登場人物は世界によって陰鬱にさせられるのではなく、どこからともなく世界の中に登場してくる蓄積した「宿酔」のような「えたいの知れない不吉な塊」によって、陰鬱にさせられるのである。また、嘉村の作品の主人公の関心は「気持」に基づいたものであり、「心に在るものはただ身動きの出来ない呪縛のみ」なのだ。われわれは彼らに、思わず、「そんなに独り言は楽しいかい」と尋ねたくなってしまうところである。
 嘉村に限らず、私小説の書き手は当為の理由をつねに存在から引き出している。彼らはフランシス・ベーコンの批判する「洞窟のイドラ」にとらわれているというわけだ。「洞窟のイドラは各個人のものである。各人は彼特有の洞窟のようなものをもっており、それが彼自身の性格や教育や環境によって、自然の光を屈折させたり弱めたりする」(『ノーヴム・オルガヌム』)。私小説家たちは自らの経験を観察し、生活に役立つ知識や思考を抽出することはない。そこにはベーコンの顕在表・欠如表・程度表に相当するものは見つからない。
 私小説は帰納的と言うよりは、演繹的論理に基づいている。ただし、彼らの論理は換位法であるけれども、不周延の概念を周延させて使っている。それに対して、梶井の作品の主人公の関心は美=醜であって、美が美として感じられなくなり、「何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた」のである。つまり、『業苦』の主人公は動けなくなるのに対して、『檸檬』の主人公は、逆に、動かずにはいられなくなるのだ。存在の縮小感にとらわれる嘉村は運動に否定的傾向を示し、その世界は名詞的であるが、梶井は、他動詞的に、運動に向かう衝動に対して肯定的評価を下している。
 名詞の変化型は人称や数量などに対応するが、動詞と違い、過去・現在・未来といった時間とは関連が稀薄であり、私小説が発展性を欠くのはこの名詞中心に原因がある。言語の動詞の時間変化はその使用者の時間概念を表象する。日本語は、時間に関して、大雑把であり、日本人の歴史感覚はこの動詞の変化型そのものなのだ。
 さらに、両者の世界の差異を詳しく分析するために、嘉村の『途上』の一節を引用してみる。
 そんなことも忽ちバレてしまった。最早私は、家のものからも、近所の誰からも軽蔑された。路を歩けば、子供さえ指を差して私のことを嗤った。私は道の行き過ぎに弥次る子供が何よりも怖くて、子供の群を見つけると遠廻りをしても避けるほど、日々卑屈になって行った。
 嘉村の作品の主人公は自分の気分に没入し、世界の移転を待つだけであるのに対して、一方、梶井の主人公は、『檸檬』の最後の部分のように、世界を破壊し、新たな価値を創造しようとする。『檸檬』に限らず、梶井の多くの作品に登場してくる主人公は「AはAであり、BはBである」という同一性を信じることができない。この場合の同一性は、同語反復ではなく、命題と命題の関係における同一の原理、すなわち同一律を意味している。ヘラクレイトスは、「上り道も下り道も一つの同じものだ」とか、「海は清らかな水であるとともに汚い水である。魚にとっては命をもたらすが、人間にとっては死をもたらすものだから」というように、言語による同一性が相対性を前提にしていることを指摘した。言葉を用いた定義は同一律や不可弁別者同一の原理ではなく、「AはBである」という術語形式によらなければならない。この措定は、厳密になればなるほど、成立することが困難になっていく。同一性は事実ではなく、一つの価値なのである。同一性は幾何学的比例によって成り立つ。こうした論理学的問題は知的好奇心を誘うことは間違いないが、多くの場合、ディオゲネス・ラエルティオスが『ギリシア哲学者列伝』において伝えるように、熟練した「デロス島の潜水夫」を断ったために、溺れ、さらにはその土左衛門の検死に時間を費やしているのだ。おそらく彼らは論理学や存在論などを研究する前に、水泳を覚えることのほうが先決である。水泳はリハビリにはもってこいだ。単純さに耐えられず、物事を複雑にしなければ気がすまないのは、こころの弱さの表われなのである。梶井の主人公は、疑うことを意図しているわけではない以上、懐疑論者ではない。梶井の作品にしても、嘉村の作品にしても、芥川の作品群に見られるような自尊心の問題は存在していないが、「子供の群を見つけると遠廻りをしても」避ける嘉村の作品の世界は病的であるのに対して、梶井のものははるかに健康志向である。梶井の主人公は、健康の欠如によってではなく、逆に、健康の過剰によって病気になっているのである。梶井は肺結核に苦しんでいたが、その作品に見られる精神は病気からほど遠かった。『のんきな患者』だけでなく、梶井の作品の主人公は、病気であるにもかかわらず、一様に「のんき」であり、その「のんき」さはユーモアを感じさせる。『のんきな患者』の主人公は結核による死に向かう外的なリズムではなく、自分自身の内的なリズムで「のんき」に構えているが、「自分のリズムのほうを大事にするというのも、ちょっとたいしたもんだ、という気がしないでもない」(森毅『若い仲間に』)。こうした健康的な精神を所有した作家は、日本近代文学において、極めて例外的な存在である。梶井のほかには、坂口安吾の作品に−−『白痴』や『風と光と二十の私と』など−−、見られるものなのだ。
 健康志向は同じでも、梶井と安吾は同一ではない。梶井の作品において、形象化の少ない安吾のものと違い、具体的な対他・対社会的関係が言及されることは稀である。また、会話が、安吾の『白痴』では重要な契機になっているのと比べると、『檸檬』や『桜の樹の下には』などで会話が一度も用いられていないように、重要な機能を果たすことはほとんどない。
 従って、梶井の作品は小説、と言うよりも、むしろ散文詩であると定義できよう。『冬の蠅』(一九二八)や『愛撫』(一九三〇)、『交尾』(一九三一)などは、フランス象徴派に影響を受けたとされる詩人たちの作品以上に、ある時期、彼が読み耽っていたボードレールを思い起こさせる。「悲劇的アイロニーの局面を代表するのは憂欝の詩、それも無感動、倦怠という極端な形をとったものである。ここでは個人の孤立はあまりに大きいので、自分の生も生きながらの死と感じてしまう。ボードレールの『巨女』で、高慢な貴婦人の姿はより深く不吉な色を帯びるし、また詩の主題は端的に肉体の分解という点から見られている−−中世のある詩の表現では『泥土の上に泥土』である。この局面に応ずるエポス形式は『死の舞踏』、死滅してゆく共同社会の詩である」(ノースロップ・フライ『批評の解剖』)。しかし、梶井の作品を詩であると断定することは適切ではない。『檸檬』のモチーフは、『瀬山の話』(一九二四)にも含まれているが、『秘やかな楽しみ』(一九二二)という詩においても、表現されている。けれども、確かに、習作ではあるが、『檸檬』と比較すると、あの強烈な色彩に欠けているのである。それゆえ、梶井の小説は散文と詩の区別を超えていると考えざるを得ない。梶井の作品が散文詩であるかどうかは議論がわかれるところであるが、デカダンスを世紀末と同一視している意見に従うと、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』は散文詩と認められないという愚考がまかりとおりかねないし、また『かなしみ』という詩を「悲しく」という言葉で表現してしまう谷川俊太郎を平気で認定しているように、日本文学は詩を理解できていないことから、それらはほとんどが無視してよいレベルでしかない。世紀末はたんに受動的ニヒリズムにすぎず、梶井のデカダンスは能動的なものなのだ。なるほど梶井は小説的形態や手法を採用することはあったが、彼の作品は、小説にしては、テンポが速く、リズミカルで、運動量は少なく、小説の根本原理たる持続はともなっていない。梶井の作品は散文においてだけでも、詩においてだけでも不可能なものを表現しているのである。梶井が散文詩と見なせるような短編小説を書いたのは、「AはAであり、BはBである」という同一性に対する抵抗なのだ。梶井の作品の世界は素朴な文学ジャンルによって分類することは困難なのである。
 柄谷行人は、『批評とポスト・モダン』所収の「梶井基次郎と『資本論』」において、梶井の作品の独自性及び日本近代文学との関連を次のように説明している。
 また、たとえば、安岡章太郎、小島信夫、島尾敏雄、植谷雄高、古井由吉といった、それぞれ異質な作家たちのなかに、明らかに梶井の影を見いだすことができる。つまり、今日の作家たちは、ある意味で梶井のテクストの“可能性”のなかに見定められるはずである。のみならず、国木田独歩、志賀直哉、芥川龍之介といった先行者、すなわち「近代文学」の流れの意味も、梶井からふりかえると逆にはっきりするように思われる。時が経つにつれて、梶井の短いテクストは、ますます多義的な様相を呈しはじめている。
 ここで柄谷があげている「今日の作家たち」に「明らかに梶井の影を見いだすことができる」かは議論の余地があるとしても、日本近代文学から梶井を見るのではなく、梶井から日本近代文学を見るとき、「多義的な様相」を呈しはじめている梶井の作品をめぐる奇妙な事態の理由が明らかになることは確かであろう。と言うのも、日本近代文学を考える際に、梶井の作品を考慮すると、前述したように、日本近代文学における文学ジャンルや文学流派などについての既存の枠組みや規定、すなわち同一律が曖昧にならざるを得なくなってしまうからである。その上で、柄谷はそうした梶井の作品の読解の鍵として梶井の『資本論』との関連に着目している。マルクスが『資本論』の註の一つで「人間は、鏡を持って生まれてくるのではなく、また、われはわれなりというフィヒテ的哲学者として生まれてくるのでもないから、人間はまず、他の人間という鏡に自分を映してみる」と述べているように、書き手が保持し続けてきた問題意識は、他の書き手の作品を読解・注釈することによって、前にも増して明確に照らしだされる。同一の原理を存在の原理として理解することは同語反復である。従って、梶井の『資本論』読解を通じて彼の作品を見ることは、『のんきな患者』に限定されず、それ以前の作品においても存在している彼の問題意識をはっきりと顕在化させるのだ。
 梶井の『資本論』読解は、日本近代文学における梶井の作品の地位と同様、奇妙な違和感を漂わせている。彼は、当時の知識人たちと同様に、『資本論』から影響を受けていたが、多くのプロレタリア文学の作家たちとは違って、資本主義におけるブルジョアジーの搾取とプロレタリアートの解放という主題から読んでいたのではなかった。それは、梶井が『資本論』を読んでも、決して、プロレタリア文学のような小説を書くことはなかったことや、彼がプロレタリア文学をまったく認めることがなかったこと、共産主義や社会主義運動に参加しなかったことからも明らかであろう。梶井の作品のうち、『のんきな患者』が『資本論』から影響を受けた作品だと見なされている。確かに、『のんきな患者』には肺結核で死ぬものを階級的に分類した統計に関する記述が出てくるのである。だが、こうしたことを『資本論』からの衝撃の結果だと短絡的に認定することはできない。マルクスは意識的な革命行動を呼び起こさせるような文章を何度か書いてはいるが、『資本論』の主眼は分析である。『資本論』は言語学や文学理論などさまざまな分野に多くの可能性を示唆してきたのであって、そのような見解は『資本論』の可能性を限定してしまうことになる。梶井が『資本論』を経済学書として、あるいは政治思想書としてのみ読んでいたと決めつけて考えるべきではない。
 マルクスは、『資本論』を通じて、アダム・スミスらの古典派経済学の理論を踏まえつつ、ヘーゲルが主張した人間の自由な自意識としての労働力を離れて、人間は労働というものをしてしまうことが、資本の経済を支える剰余価値を生み出してしまうことになるということを分析している。
 マルクスは、『資本論』において、労働と労働力の関係を次のように言っている。
 だから、人々が彼らの労働諸生産物を諸価値として相互に連関させるのは、これらの物象が、彼らにとって同等な種類の、人間的な労働のたんなる物象的外被として意義をもつからではない。その逆である。彼らは、彼らの相異なる種類の諸生産物を交換において諸価値として相互に等置することにより、彼らの相異なる諸労働を人間的労働として相互に等置する。彼らはそれを意識していないが、しかしそう行うのである。
 だから、価値なるものの額には、それが何であるかということは書かれていない。むしろ価値が、どの労働生産物をも一つの社会的象形文字に転化する。のちに至って、ひとびとは、この象形文字の意味を解こうとし、彼ら自身の社会的産物−−けだし、価値としての諸使用対象の規定は言語と同じように彼らの社会的産物である−−の秘密を探ろうとする。
 労働諸生産物は、それらが価値であるかぎりでは、それらの生産に支出された人間的労働のたんに物象的な表現である、という後代の科学的発見は、人類の発達史において労働を劃するものだが、しかしけっして労働の社会的性格の対象的仮象を追いはらいはしない。
 『ルカによる福音書』二三章三四節の「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」を思い起こさせるように、マルクスは何度もわれわれに、いわゆる「虚偽意識」に対する注意を促す。われわれが自明として顧みない同一性は、よくよく考察してみると、イデオロギーにすぎないのだ。具体的なものの成立過程、すなわち、アルチュセールの言う「実在的対象」と概念を生産する思考過程、すなわち「認識の対象」を一つの統一した過程に収束させることは不可能である。つまり、資本主義的生産のメカニズムの根源は、人間が近代認識論的な意識によって考えているにもかかわらず、それとはまったく別のあり方をしてしまうという乖離から派生しているという自己完結性である。マルクスはここからこのシステムそのものを変えることに向かった。マルクスの試みは批判であって、批判的なものではない。人間の労働が真に個々人の社会的存在の認識により投げ返されるような構造をつくり出す方向性を導き出すことをマルクスは課題にしたが、それはブルジョア経済学にプロレタリア経済学を対置することではなく、経済学そのものの存立意義を問い直すことである。彼はそれまでの経済学の対象と認識にとどまらず、経済学というものの同一性を批判するのだ。
 梶井の『資本論』に関する読解も、彼の作品に表面的に顕在化していない以上、こうした部分にあるように思われる。梶井は『檸檬』の時点ではまだ『資本論』を読んでいなかったが、『のんきな患者』は『資本論』を読んだあとで書かれた作品である。従って、『のんきな患者』は梶井がそれまで抱いていた認識を、『資本論』の読解を通じて、とらえなおしていることを表わしていると言うことができよう。
 『のんきな患者』において、主人公吉田は自分が肺結核だと知った上で、さまざまな迷信や民間療法をもって近よってくる人たちに困惑したのち、次のように言っている。
 吉田はそんな話を聞くにつけても、そういう迷信を信じる人間の無智に馬鹿馬鹿しさを感じない訳には行かなかったけれども、考えてみれば人間の無智というのはみな程度の差で、そう思って馬鹿馬鹿しさの感じを取除いてしまえば、あとに残るのはそれらの人間の感じている肺病に対する手段の絶望と、病人達の何としても自分のよくなりつつあるという暗示を得たいという二つの事柄なのであった。
 吉田が「病院へ来て以来最もしみじみした印象」を受けたのは、経済的な貧困によるだけでなく、救いようのない「絶望」にうちひしがれた人たち、「みな単なる生活の必要というだけでなしに、夫に死別れたとか年が寄って養い手がないとか、どこかにそうした人生の不幸を烙印されている人達」である。しかし、吉田はそうした人たちに同情しているわけではない。彼はただ現実を認識しているだけである。こうした考え方は百科全集的な知識を与えてやれば宗教や迷信を信じることをやめるであろうというオプティミスティックな啓蒙主義に対する批判であるが、太宰治の『斜陽』に見られるようなショーペンハウアー流のペシミスムではない。
 ヘーゲルを究極のぺてん師と罵倒し、哲学の名に値するのは自分自身とカント、それにプラトンだけであるとうそぶいたショーペンハウアーは、『意志と表象としての世界』において、人間の意識は生きようとする盲目的な意志の表象であると定義した上で、現実の制約によって欲求は達成されることはほとんどないため、その欲求が満たされないことにより人間は必然的に苦悩することになる、と言っている、往年の日本の学生諸君に「デカンショ」と唱われ、カントはともかく、デカルトと並べられているのは、彼にはまったく不本意であろう。さらに、ショーペンハウアーによると、人間の理性の能力はこの苦悩を軽減することはできず、それは本質的事態をよりよく理解することにのみ役立つにすぎないのであり、宗教・芸術・道徳がそれぞれ独自の方法で人間の生きることにともなう苦悩を解脱し得る可能性を与えられるのである。ショーペンハウアーの示したことは通俗的にはかなり流通し、体現されている。
 しかしながら、梶井は、自分自身において、宗教・芸術・道徳が「病気」の苦悩をとりはらってくれるとは信じておらず、梶井の作品はそうした思考の下にはない。
 むしろ、この部分に限っての認識は、柄谷行人が指摘するように、マルクスの『ヘーゲル法哲学批判序説』における次の言葉を思い起こさせる。「宗教上の悲惨は、現実的な悲惨の表現でもあるし、現実的な悲惨にたいする抗議でもある。宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である。民衆の幻想的な幸福である宗教を揚棄することは、民衆の現実的な幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてもつ幻想を棄てるよう要求することは、それらの幻想を必要とするような状態を棄てるよう要求することである。したがって、宗教への批判は、宗教を後光とするこの涙の谷への批判の萌しをはらんでいる」。マルクスは宗教を非科学的・非合理的な思考として退けてはいない。彼は、われわれが、今日、麻薬問題を個人的領域のみに限定せず、社会的矛盾の表出として対処しているように、宗教がある現実に根差した不可避的なものであると見なしている。マルクスの作品は、アルチュセールや廣松渉らによって、『ドイツ・イデオロギー』を境にして「認識論的転回」が起こっていると指摘され、初期と後期にわけられているが、彼の認識は初期も後期も現実改革に向かうことでは一致しているのである。梶井は、プロレタリア文学者たちのように、民衆は経済的に貧しいから「病気」にかかり、そして無知であるから救いを求めるために宗教や迷信を信じてしまうのだということで、宗教や迷信に対して素朴に批判的態度をとらない。民衆の現実的な幸福への希求が、矛盾に満ちた現実によって、歪められ、宗教や迷信の信仰へと至ってしまう。たとえ知識と教養をつんで、宗教や迷信を幻想だと非難しても、そうした幻想に救いを求めざるをえない現実の悲惨さをとりはらうことにつながらなければ、それこそ幻想にすぎない。われわれは知識だけではなく、それを用いて創意工夫することのできる知恵を持たなければ、真の批判にはならないのである。知性とはたんに知識を所有していることではなく、臨機応変に、知恵を働かせることができることなのだ。知恵に関する認識の欠けた多くの啓蒙主義批判は、それを知識至上主義として断罪・糾弾するだけで、その結果、神秘主義に帰着することになってしまうのである。梶井の視線は、「人間の感じている肺病に対する手段の絶望と、病人達の何としても自分のよくなりつつあるという暗示を得たいという二つの事柄」と述べているように、マルクスと同様、こうした「迷信」を生み出してしまう現実にまで届いている。
 しかし、梶井はその地点でとどまらないが、マルクスとは違う道を歩き始めるのであって、彼は、『のんきな患者』の最後の部分で、マルクスの認識を最終的に次のように批判している。
 吉田は平常よく思い出すある統計の数字があった。それは肺結核で死んだ人間の百分率で、その統計によると肺結核で死んだ人間百人についてそのうちの九十人以上は極貧者、上流階級の人間はそのうちの一人にはまだ足らないという統計であった。勿論これは単に「肺結核によって死んだ人間」の統計で肺結核に対する極貧者の死亡率や上流階級の者の死亡率というようなものを意味していないので、また極貧者と云ったり上流階級と云ったりしているのも、それがどのくらい程度までを指しているのかはわからないのであるが、しかしそれは吉田に次のようなことを想像せしめるには充分であった。
 つまりそれは、今非常に多くの肺結核患者が死に急ぎつつある。そしてそのなかで人間の望み得る最も行き届いた手当を受けている人間は百人に一人もないくらいで、そのうちの九十何人かはほとんど薬らしい薬ものまずに死に急いでいるということであった。
 吉田はこれまでこの統計からは単にそういうようなことを抽象して、それを自分の経験したそういうことにあてはめて考えていたのであるが、荒物屋の娘の死んだことを考え、また自分のこの何週間かの間に受けた苦しみを考えるとき、漠然とまたこういうことを考えないではいられなかった。それはその統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり子供もあれば年寄りもいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことの出来る人間もあれば、そのいずれにも堪えることの出来ない人間も随分多いに違いない。しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることの出来ない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引摺ってゆく−−ということであった。
 先の引用以上に、ニヒリズムを押し進めているが、梶井が展開していることは死から見られた生の姿ではない。梶井同様、結核に悩まされた正岡子規の「主観的の感じ」と「客観的の感じ」(『死後』)という二重の姿勢が梶井にはある。それは、死ぬことは誰においても訪れるものであると同時に、他者とは交換不可能なものであるという思考ではなく、「最後の死のゴールへ行くまでは」と言っているように、あくまでも生の姿である。こうした主張はハイデガーの「死は現存在の最も固有な可能性なのである」(『存在と時間』)という考え方とは根本的に違う。死は生の条件なのだ。梶井にとって、「病気」を通して見るとき、死が「最も固有な可能性」であるかどうかを問題にすることは誤謬であって、生きることそのものこそ「最も固有な可能性」である。「病気」というものは「最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引摺ってゆく」、すなわち「病気」はいかなる人間をも死ぬまで苦しめる。人間は「病気」に苦しまざるを得ないが、その苦しめられるということにおいては、現実的な階級による区別と関係なく、誰もが等しいのである。『不如帰』に見られるような肺結核による神話作用はここにはもはやない。これは、ニーチェの『この人を見よ』の言葉を借りるならば、「病者の光学によってより健康な概念と価値を見わたし、さらにそれとは逆に、豊かな生命の充実と堅固さからデカダンス本能のひそかな作業を見下ろすこと」である。「病気」の前では一切の自由意志は許されないのだ。死をも自由に選択し得る生き方をしたとしても、「病気」の前では、その自由の感覚は錯覚にすぎない。「病気」は現実上の同一性を基盤とする区別を解体してしまうから、死んでしまえばすべては終わりと思うことすらも禁止されてしまうため、「病気」は死の「固有性」を奪ってしまう。つまり、「病気」は人間の内面・外面を含めたすべての意味づけを相対化してしまうのであり、それはニヒリズムの極限である。二重の姿勢の欠如では、「病気」は、そのニヒリズムゆえに、「迷信」や「宗教」に反動的に回帰してしまう人間を出してしまう。「病気」にルサンチマンを抱いている状態はまだその作業の途上でばてているにすぎない。梶井は、「僕は身体はもう大分悪いのですが、必らずもう一度精神的な健康に立ち帰り得る自信を持っています」(一九三一年一月一七日尾崎士郎宛書簡)と書いているように、ルサンチマンという精神的病とはほど遠かった。「精神的な健康」の所有者だけが「病者の光学」を使いこなせるのである。「生きているのは面白い。健康が一番幸福だ。そして、死ぬのが楽しみだ」(丹波哲郎)。
 読書や執筆なども、本来、そうした「病気」に属している。人の眼が健康的に機能するには、それらを行うのに、眼と対象の距離が近すぎるのであり、知識人たる資格は「病者の光学」を身につけることである。こうした「病者の光学」の常軌を逸した徹底的な推進は自分自身を二重化し、健康的な笑いを引き起こさずにはいられない。一方が、もう一方に対して、冗談をついつい語ってしまうのである。「病院の狂人たちは皆、自分の優越の観念が度はずれに発達している、とは知られわたったことである。私も卑下性狂人というものはあまり見たことがない。笑いは、狂気の最も頻繁で最も数多い表現の一つであることに、留意していただきたい。……生の根本的諸条件から外れてしまった[笑いは]、……着々と進んで摂理の命令を執行する病気さながら、決して眠ることのない笑いだ」(『笑いの本質』)。破瓜型の患者は、エーレンツワイクによると、相手を矮小化して、辛辣な冗談を、「着々と進んで摂理の命令を執行する」ように、楽しむ傾向にある。ボードレールの言う「病院の狂人たち」は彼らを意味している。二重の姿勢がないので、相対的に他者を縮小しないと、存在が脅かされるのだ。ただし、われわれの大言壮語が、その一例として、とらえることができるかどうかは定かではない。二重の姿勢がなければ、笑いも「生の根本的諸条件から」外れてしまい、モノローグ的な負け惜しみに堕してしまうのである。
 こうした笑いの中、梶井の視点は、マルクスのように、直接的な現実改革ではなく、「病気」そのものに向かうのだ。彼にとって、社会的条件は決して優先的なものではなく、その如何にかかわらず、生がいかに充実され得るのかということこそが第一である。どんな恵まれない時代や場所に生まれてきたとしても、生はそのうちにその都度充実される必要がある。プロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争は、個人の生の意味の一般的条件を満足するにすぎない。梶井の作品に『資本論』の姿がはっきりと表われないのは、梶井の『資本論』に対する批判がマルクスの哲学の根幹について行われたからである。梶井は、革命への手引書と見なしていたプロレタリア文学者たちよりも、『資本論』の根幹を適切に把握しているが、『檸檬』から『のんきな患者』まで認識の転回が見られない以上、梶井の思考は『資本論』の読解によって直接的に与えられたものではない。彼が『資本論』から得たものは、すでに保持していた認識を明確に強化したことである。
 梶井にとって、マルクスの哲学は受け継いでいくものではなく、批判的に解釈していくものである。彼はマルクスの理論を否定するのではなく、その意義を受けとめた上で、さらなる考察を追及する。彼はマルクスの問題それ自体を変更しているが、彼のマルクス批判は、内容だけに限らず、作品の構成そのものにおいても、見出せる。梶井の作品は、中野重治の作品にひそんでいるようなマルクス的な弁証法ではなく、むしろ、ニーチェの『悲劇の誕生』におけるディオニュソス的=アポロ的の二つの契機のダイナミズムを体現しているのである。
 ニーチェは、『悲劇の誕生』において、その二つの要素を次のように説明している。
 ギリシア人の二柱の芸術神、アポロとディオニュソスとを手がかりにして、われわれは次のようなことを認識する。ギリシア世界には、造形家の芸術であるアポロ的芸術と、音楽という非造形的芸術であるディオニュソス的芸術との間に、発生から見ても、目的から見ても、巨大な対立がみとめられるということである。二つの衝動はまことに性格が異なっておりながら、たがいに並行して進み、たいていは相互に公然と反目しながら、相互に刺激しあって、つねに新たな、力強い作品の出産にはげむ。産み落としてきた作品の中に、両者は、対立抗争の姿を永久にのこし、わずかに「芸術」という共通語が橋渡しをしているが、それも見かけだけのことでしかない。しかし、この二つの衝動は、あげくの果てには、ギリシア的「意志」という形而上的な奇跡のたすけで、いつしかたがいに夫婦になって出現するようになり、そしてこの晴れの婚姻において、最終的に、ディオニュソス的でもありアポロ的でもある芸術作品、アッチカ芸術を産み落とすことになるのである。
 ニーチェによれば、アポロ的が意味しているのは「美しい仮象」を夢見る能力、すなわち美を具体的な形象として「個体化」する能力であり、一方、ディオニュソス的が意味しているのは狂騒的な祝祭における「陶酔」である。ニーチェは、『悲劇の誕生』において、「ディオニュソス的なものとアポロ的なものとがつぎつぎに幾度も新たな産児を設けて相互に高め合いながらギリシア的な本質を支配してきた」、と言っている。従来、アポロ的な合理性によってのみとらえられてきたギリシア文化に対して、ニーチェは、ギリシア文化は合理的なアポロの「夢幻」・「形象化」・「個体化」と不合理的なディオニュソスの「陶酔」・「狂騒」・「一体化」という二つの原理の複層的なダイナミズムによって展開されてきたと主張したのである。アポロは混沌を秩序化し、ディオニュソスは整合化された事象を根源的混沌へとさしもどす。ニーチェは、特に、酒宴の神ディオニュソスの側にアクセントを置いて論証を展開している。こうした思考は、『いなかっぺ大将』の大ちゃんこと風大左ェ門が、音楽が鳴り出すと、ついつい踊りだし、たとえふんどしがほどけ、フルチンになっても、続けることから、その正しさが強調されよう。
 中でも、『桜の樹の下には』がディオニュソス的なるものとアポロ的なるものとの対立と統一への止揚というイデーを次のように端的に表わしている。
 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 一体どこから浮んで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒を呑めそうな気がする。
 「桜の樹の下には屍体が埋まっている」ということはカフカの『変身』の「Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand
er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt.」に匹敵する。軍国主義のイデオロギーとして国花に採用された桜の樹の美しさというアポロ的なるものと屍体というディオニュソス的なるもの、そしてその桜の樹の下で村人たちがひらいている酒宴−−これほど『悲劇の誕生』を体現している作品は、日本近代文学において、ほかに類を見ない。
 『桜の樹の下には』だけでなく、梶井の作品は、「音楽という非造形的芸術であるディオニュソス的芸術」を思わせる文体によって、「造形家の芸術であるアポロ的芸術」を描いている。このレトリック構成は力学的であるが、それは二項対立システムを構築しているわけではない。この場合の力学はニュートン的ではなく、アルキメデス的である。アルキメデスの功績として、てこの原理とアルキメデスの原理の二つがあげられるが、彼の力学は幾何学的比例に基づいている。アポロとディオニュソスは比例の関係にある。屍体というディオニュソス的なるものは桜の樹の美しさというアポロ的なるものに語りかけるが、その逆はない。ディオニュソス的なるものはアポロ的なるものとの関係は一方的なのだ。アポロ的なるものは、ディオニュソス的なるものによって、生まれるが、ディオニュソス的なるものは、アポロ的なるものの認定のあとに、発見される。
 詩人と言うよりは、演説家のような口調で主人公は、『桜の樹の下には』において、美と醜の関係を次のように語っている。
 −−お前は何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
 二三日前、俺は、ここの渓へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、渓の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。お前も知っているとおり、彼等はそこで美しい結婚をするのだ。しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰わした。それは渓の水が乾いた磧へ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。お前はそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼等のかさなりあった翅が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終わった彼等の墓場だったのだ。
 俺はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。墓場を発いて屍体を嗜む変質者のような惨忍なよろこびを俺は味わった。
 この渓間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂欝に渇いている。俺の心に憂欝が完成するときにばかり、俺の心は和んで来る。
 一見したところでは、アポロ的なるものとディオニュソス的なるものの対立関係は表象と物自体とのヴァリエーションとして理解し得るかもしれない。しかし、それらは、主人公が「もうろうとした心象」が「明確になって来る」ためには「惨劇」が必要なのだと言っているように、現象世界と本質世界の関係にあるのではなく、現実世界の全体性を表わしているのである。主人公はアポロだけでは満足できず、それにおさまりがつかないディオニュソスの出現を待望している。両者の比例的差異がディオニュソス登場の力となる。主人公は神話ではなく、ディオニュソスの神託を語る。この「惨劇」は、美と醜や生と死の両面を、現実がどうしようもなく持っている矛盾として、具象化しているのである。「惨劇」がもたらす矛盾の「平衡」によって「心象」は現実感を与えられる。現実は矛盾そのものなのだ。
 「惨劇」は矛盾の結果たる悲哀や苦悩を浄化することなく、矛盾をあるがままにわれわれに顕示するのである。梶井の「惨劇」は人間が巨大な力に打ち倒されることではなく、生への意志によって悲哀や苦悩がつきまとうが、人間はそれを是認して生きることを望むということを意味している。アポロ的=ディオニュソス的をめぐる考察は、『悲劇の誕生』というタイトルが示すように、このような悲劇を念頭に置いて行われなければならない。そうでなければ、それら二つの概念はたんなる二項対立に堕してしまう。悲劇はアポロ的な側面とディオニュソス的な側面の両方を含み、その差異によってアポロ的なるものを克服するディオニュソス的要素を「認識」によってではなく、「一体化」によって訴える。悲劇によって、アポロ的なるものとディオニュソス的なるものは統一されるのである。
 梶井はこうしたディオニュソスがアポロを踏み超えていく様子を、ほかの作品でも、次のように示している。
「今晩も来ている」と生島は崖下の部屋から崖路の闇のなかに浮んだ人影を眺めてそう思った。彼は幾晩もその人影を認めた。その度に彼はそれがカフェで話し合った青年によもやちがいないだろうと思い、自分の心に企らんでいる空想に、その度戦慄を感じた。
「あれは俺の空想が立たせた人影だ。俺と同じ欲望で崖の上へ立つようになった俺の二重人格だ。俺がこうして俺の二重人格を俺の好んで立つ場所に眺めているという空想はなんという暗い魅惑だろう。俺の欲望はとうとう俺から分離した。あとはこの部屋に戦慄と恍惚があるばかりだ」
 ある晩のこと、石田はそれが幾晩目かの崖の上へ立って下の町を眺めていた。
 彼の眺めていたのは一棟の産科婦人科の病院の窓であった。それは病院と云っても決して立派な建物ではなく、昼になると「妊婦預ります」という看板が屋根の上へ張出されている粗末な洋風家屋であった。十ほどあるその窓のあるものは明るくあるものは暗く閉されている。漏斗型に電燈の被いが部屋のなかの明暗を区切っているような窓があった。
 石田はそのなかに一つの窓が、寝台を取囲んで数人の人が立っている情景を解放しているのに眼が惹かれた。こんな晩に手術でもしているのだろうかと思った。しかしその人達はそれらしく動きまわる気配もなく依然として寝台のぐるりに凝立していた。
(『ある崖上の感情』)
 ある夜のこと、私は私の前を私と同じように提灯なしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。それは突然その家の前の明るみのなかへ姿を現わしたのだった。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいって行ってしまった。私はそれを一種異様な感動を持って眺めていた。それは、あらわに云って見れば、「自分もしばらくすればあの男のように闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立って見ていればやはりあんな風に消えてゆくのであろう」という感動なのであったが、消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であった。
 その家の前を過ぎると、道は渓に沿った杉林にさしかかる。右手は切り立った崖である。それが闇のなかである。なんという暗い道だろう。そこは月夜でも暗い。歩くにしたがって暗さが増してゆく。不安が高まって来る。それがある極点にまで達しようとするとき、突如ごおっという音が足下から起る。それは杉林の切れ目だ。ちょうど真下に当る瀬の音がにわかにその切れ目から押寄せて来るのだ。その音は凄まじい。気持にはある混乱が起って来る。大工とか左官とかそういった連中が渓のなか不可思議な酒盛をしていて、その高笑いがワッハッハ、ワッハッハときこえて来るような気のすることがある。心が捩じ切れそうになる。するとその途端、道の行手にパッと一箇の電燈が見える。闇はそこで終わったのだ。
 もうそこからは私の部屋は近い。電燈の見えるところが崖の曲角で、そこを曲れば直ぐ私の旅館だ。電燈を見ながらゆく道は心易い。私は最後の安堵とともにその道を歩いてゆく。しかし霧の夜がある。霧にかすんでしまって電燈が遠くに見える。行っても行ってもそこまで行きつけないような不思議な気持になるのだ。いつもの安堵が消えてしまう。遠い遠い気持になる。
 闇の風景はいつ見ても変らない。私はこの道を何度ということなく歩いた。いつも同じ空想を繰返した。印象が心に刻みつけられてしまった。街道の闇、闇よりも濃い樹木の闇の姿はいまも私の眼に残っている。それを思い浮べるたびに、私は今いる都会のどこへ行っても電燈の光の流れている夜を薄っ汚く思わずにはいられないのである。
(『闇の絵巻』)
 闇は闇であり、光は光であるのではなく、「闇」もまた一つの光である。「闇」は光のもう一つの自己なのだ。「闇」というディオニュソスは、アポロという光以上に、「光」を放つ。この「光」は光以上の「光」であり、一つの行為にまで高められた「光」にほかならない。
 梶井にとって、美は、黙っていると、形象化=概念化されたアポロ的な瞬間に、乗り越えを希求することになってしまい、それは美ではなく、醜となってしまう。それゆえ、梶井は、それに対して、ディオニュソス的な破壊を加えなければならないのである。このような破壊はロマン主義特有の死=再生という円環構造に基づいているわけではない。ロマン主義文学は死と再生を繰り返して最終的な真の誕生を迎える形態をとっている。ロマン主義の作品において、存在するものは終わりに向けた運動の連鎖の一部であり、書き手の意図によって定めらた時間・空間の世界が展開される。
 梶井の破壊がロマン主義的な死=再生の円環ではないことを『ある心の風景』における次のようなシーンが告げている。
 深い霧のなかを影法師のように過ぎてゆく想念がだんだん分明になってくる。
 彼の視野のなかで消散したり凝聚したりしていた風景は、或る瞬間それが実に親しい風景だったかのように、また或る瞬間は全く未知の風景のように見えはじめる。そして或る瞬間が過ぎた。−−喬にはもう、どこまでが彼の想念であり、どこからが深夜の町であるのか、わからなかった。暗のなかの夾竹桃はそのまま彼の憂欝であった。物陰の電燈に写し出されている土塀、暗と一つになっているその陰影。観念もまたそこで立体的な形をとっていた。
 喬は彼の心の風景をそこに指呼することが出来る、と思った。
 梶井の作品にはさまざまなものが登場するが、バフチンがドストエフスキーの作品から見出した射影幾何に基づいたような「カーニバル」的な要素として、それらは混在しているわけではない。梶井の作品は、現実と想念の区別を超えた「現実」、光と闇の区別を超えた「光」、健康と病気の区別を超えた「健康」、快楽と苦痛の区別を超えた「快楽」、美しいものと醜いものの区別を超えた「美しいもの」、高貴なるものと卑俗なるものの区別を超えた「高貴なるもの」を表わしている。
 こうした言いまわしは、一見したところでは、曖昧である。二項対立は否定的・受動的なるものの反動による規定であるが、一方、梶井は肯定的・能動的なものを価値基準として自己規定する。換言するならば、光と闇、健康と病気、快楽と苦痛、美しいものと醜いもの、高貴なるものと卑俗なるものとの二項対立的な区別は「AはAであり、BはBである」という同一性を自明の前提とすることから生ずるのだ。梶井の認識は、ヘラクレイトスのように、カントの二律背反によって批判されることはない。「或る瞬間それが実に親しい風景だったかのように、また或る瞬間は全く未知の風景のように見えはじめる」ように、「心の風景」はそうした同一性の否定として「指呼することが出来る」のである。
 若くして生を失ったからということで、梶井の作品を青春の書やデカダンの書として読むことは、彼の作品の持つ二重構造をペシミスティックに一面化しているにすぎない。そもそも梶井の作品が青春の書であるとするならば、太宰治のもののように、もっと通俗的に普及して読まれ、彼も神話化されるに違いない。若者の間でカリスマ化するものは、文学に限らず、絵画や演劇、ポップ・ミュージックなどでも、太宰治のヴァリエーションであることは誰でもすぐに気がつく。太宰治は、文学的にはともかくとして、そうした神話の日本的原形を示したのだ。
 梶井の作品は一個のデカダンスであるが、その対立するものでもある。梶井の作品はその二つの視線を保持し、見ている。『ある心の風景』の主人公は、「視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ」、と独白している。これは、ニーチェが『ギリシア人の悲劇時代の哲学』においてヘラクレイトスについて語った言葉を借りるならば、「ヘラクレイトスは巫女のような全身法悦の境地で観るのであって、窺い探るように見るのではない。つまり、「認識はするが、計算はしない」ということを意味しているのである。梶井の作品の主人公たちも、ヘラクレイトスのように、「認識はするが、計算はしない」のだ。彼らにおいては、感じることがそのまま考えることであり、考えることがそのまま感じることである。それをわかつことはできない。「AはAであり、BはBである」という同一の原理は機能しないのだ。一方、学者にとって、考えることは考えることであり、感じることは感じることである。そうしたカテゴリーがないとすれば、計算はまったく成り立たない。同一律を無視して、論理的論証をすることは不可能である。つまり、梶井の「視ること」とはそうした両義性を同時に認識し体現することなのだ。
 「視ること」は『城のある町にて』で次のように具体的に表わされている。
 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍を並べていた。
 白堊の小学校。土蔵作りの銀行。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出ている。ある家の裏には芭蕉の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような格好に刈られた松も見える。みな黝んだ下葉と新らしい若葉で、いい風な緑色の容積を造っている。
 遠くに赤いポストが見える。
 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。
 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。−−
 この色彩豊かな描写は近代遠近法に基づいておらず、主人公は消失点の如き存在ではない。色彩の対照や調和の構成は彼の「心」そのものなのである。色彩が彼を変化させ、色彩は彼に答える。色彩は眩いばかりの運動を秘めた悲劇的な現実であり、梶井はその現実に身をゆだね、「悲しいまで」に陶酔する。梶井の文学は、全身を震わせながら、この現実の「悲しいまでの」抱擁の感動に陶酔することなのだ。梶井の作品はこのような鮮烈な澄明さに満ち溢れている。梶井と同様に、近代認識論的な遠近法に違和感を覚え続けたヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画に見られるようなこうした表現の前にはサトウ・ハチローの『悲しくてやりきれない』などはかすんで見える。
 サトウ・ハチローの『悲しくてやりきれない』は次のような詩である。
胸にしみる空のかがやき 今日も遠くながめ 涙を流す
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを だれかに告げようか
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
この限りないむなしさの 救いはないだろうか
深い森のみどりにだかれ 今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは 明日も続くのか
 『悲しくてやりきれない』が前期印象派的な淡い色をイメージさせるのに対して、梶井の作品は透明度の高い鮮明な色を印象づける。こうした色彩を考慮するならば、『檸檬』の主人公が宮廷を中心に受容された古代ギリシア=ローマを規範とし、格調の高い均整のとれた古典主義の「体系的様式」(ジンメル)の巨匠アングルに満足いかなくなるのも当然である。印象派は、マネやモネ、ドガ、ルノワールなどの前期においては、色調の分割によって外光の効果を表わし、光と影の色彩を感覚に基づいて追及したわけだが、セザンヌやゴーガン、ゴッホの後期では、視覚尊重にとどまらず、自然を把握する際に主観の構成する力を重視して表現した。前期印象派の絵画は、サトウ・ハチローの詩のように、色の濃淡そのものを遠近法として用いるが、梶井の作品の色彩には濃淡によるコントラストがない。さらに、ここには「その下」や「遠く」という言葉が登場しているだけで、『悲しくてやりきれない』において使われている「深い」といった奥行きを喚起させるような言葉は一切用いられていないように、奥行きを感じさせないのである。梶井の作品が「今、空は悲しいまで晴れていた」という感じることと考えることは渾然一体となっている表現であるのに対して、サトウ・ハチローの作品は「胸にしみる空のかがやき 今日も遠くながめ 涙を流す」と感じることはあくまでも感じることであるという同一性に基づいた表現になっている。梶井の語り手は空を見た瞬間に悲しさを感じているが、サトウ・ハチローの語り手は空を見た後に、悲しさを感じているのである。梶井の作品には時間にも奥行きがないのだ。梶井について、深層心理学的手法によって、母との関係からの研究も進んでいるが、彼以上にサトウ・ハチローのほうにそのテーマはふさわしい。
 梶井の作品が属している世界の時間・空間が近代認識論的ではないことは『檸檬』の次のような件が強調している。
 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転してあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と云ったような趣のある街で、土塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり−−勢いのいいのは植物だけで、時とすると吃驚させるような向日葵があったりカンナが咲いていたりする。
 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなく京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか−−そのような市へ今自分が来ているのだ−−という錯覚を起そうと努める。私は、出来ることなら京都から逃出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月程何も思わず横になりたい。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。−−錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。何のことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 安部公房の作品などが属しているデカルト的な均質時間・空間はここにはない。デカルトは、古典的なユークリッド幾何学があまりに感覚に依存しているとして、図形を座標によって表示する解析幾何学を唱えた。均質さは記号化が可能にしたのである。古代ギリシアの数学者はほとんどが記号化に無関心であった。座標軸はそれが交差する点を基準に、そこから均質的に広がっていく。その点がなければ、「コギト・エルゴ・スム」のごとく、座標は存在しない。古代ギリシア人は、デモクリトスもアルケーを分割できないものという意味でアトムと命名したように、自然数の比例として数を考えたが、デカルトは線分を数化したため、実数の概念を登場させるきっかけをつくることになった。この部分は、鮮やかな色彩に彩られた現在と過去との明確なコントラストという特徴を持っている。しかしながら、このコントラストは近代認識論に基づいた時間性とは異なっているのである。ここでは社会的な関係に基づく日常生活に関する記述は見られず、心理的背景は日常的現実の具体的な描写に基づいた時間的・空間的背景とほぼ同一として表われており、その時間的・空間的背景は比較的自由で、限定されてはいない。梶井の概念はすべてに非等質性を帯びている。それは読むことの妨げにならない。読み手は、その意味の非等質との直面から発する弁証法的刺激によって、読解を生産するのである。
 この世界は、『檸檬』に限らず、ほかの作品もその具現を次のように告げている。
 滑ったという今の出来事がなにか夢の中の出来事だったような気がした。変に覚えていなかった。傾斜へ出かかるまでの自分、不意に自分を引摺り込んだ危険、そして今の自分。それはなにか均衡のとれない不自然な連鎖であった。そんなことは起りはしなかったと否定するものがあれば自分も信じてしまいそうな気がした。
 自分、自分の意識というもの、そして世界というものが、焦点を外れて泳ぎ出して行くような気持に自分は捕えられた。笑っていてもかまわない。誰が見てはいなかったかしらと二度目にあたりを見廻したときの廓寥とした淋しさを自分は思い出した。
(『路上』)
 自分の姿が見えて来る。不思議はそればかりではない。だんだん姿があらわれて来るに随って、影の自分は彼自身の人格を持ちはじめ、それにつれてこちらの自分はだんだん気持が杳かになって、或る瞬間から月へ向って、スーッスーッと昇って行く。それは気持で何物とも云えませんが、また魂とでも云うのでしょう。それが月から射し下ろして来る光線を遡って、それはなんとも云えぬ気持で、昇天してゆくのです。
(『Kの昇天』)
 影の中に生き物らしい気配があらわれて来た。何を思っているのか確かに何かを思っている−−影だと思っていたものは、それは生なましい自分であった!
 自分が歩いてゆく! そしてこちらの自分は月のような位置からその自分を眺めている。地面はなにか玻璃を張ったような透明で、自分は軽い眩暈を感じる。
 あれはどこへ歩いてゆくのだろう」と漠とした不安が自分に起りはじめた。……
(『泥濘』)
 これらはカフカの『夢』を想起させる。すべてはただ存在するのではなくて、表われてくるものなのだ。古代ギリシアでは加速度の概念がまだ発達していなかったように、この運動は等速度運動である。あったことは、表われたことを認知した後で、確認される。主人公の私は、対象が自己にあらわになってから、それを認識する。あったという静止した状態は、私には、存在しない。現在や過去よりも、未来の感覚が強く知覚されているため、私はこの意識を、ヘラクレイトスが川に入ったときのように、反復することができないのである。これが何かと問われるならば、私のあり方と答えるほかないだろう。
 私は対象と同時に自己も見ているのである。私にとって、自己とは他者にほかならない。私は自己と内的な関係を保持できないのである。それどころか、一切のものと内的関係を築くことができないのだ。
 梶井において、身体に対置するのは精神ではなく、意識である。彼は事後的に時間の順序を整理せず、意識が少しずつ少しずつ明瞭になっていく過程を記述している。意識が言語を一つに統合するのではなく、言語という肉体が意識の専制統治を改革するのである。ここでは自己の同一性や連続性はまったく成立しない。時間と空間は言語の表現形式を意味している。
 梶井の作品には、リニアな時間や均質空間の中においてアイデンティティーを持ったものに対する抗いがある。彼の世界の時間と空間は運動可能性の領域である。彼の空間性は対象との距離であり、時間性はその運動にかかる時間なのだ。運動可能な距離から無限へと向かう自己は、私に、「漠とした不安」を生じさせる。自己の遠ざかりは私の内的動機づけを無視するのである。私と自己との距離が小さいほど、「不安」は消失する。けれども、私の望みとおかまいなしに、自己は私から遠のいていくのだ。私と自己は距離について、商人が契約によって他者とその時間と空間を限定するように、契約を締結している。価値はア・プリオリに存在するのではなく、契約が生み出す。私は契約を二つ結ぶ。もう一つの契約は他者と私との契約であり、それは固有名詞である。私は、この場合、自己の代理人なのだ。私は自己と他者の調停役である。「主観を一つだけ限定する必然性はおそらくあるまい。おそらく多数の主観を想定しても同じくさしつかえあるまい。それら諸主観の協調や闘争が私たちの思考や総じて私たちの意識の根底にあるのかもしれない。支配権をにぎっている『諸細胞』の一種の貴族政治? もちろん、たがい統治することに慣れていて、命令することをこころえている同類のものの間での貴族政治? 主観を多数とみなす私の仮説」(ニーチェ『権力への意志』四九〇)。私は自己から代理人報酬を受けとる。しかし、私と自己の望むものが一致するとは限らない。他者は私だけに固有名詞という署名の有効性を認めているから、自己は他者と直接契約を結ぶ権利を持たないし、私を解任したり、別の代理人を請求することもできないのである。自己は私に要求を出すが、思い通りになることは少ない。他者と交渉した結果、私は受けいれられるだろうと判断し、自己に条件を提示する。自己が妥協した場合、他者と私、自己の間で合意に達するのである。合意に至らず、決裂すると、厄介な事態が訪れる。
 統合失調症はこの私との距離に関する自己の契約解消の病である。契約が無効になった以上、私と自己は連動せず、それぞれが勝手に動き、限定された範囲すらも超えていってしまう。自己は、私を通さず、他者と直接契約しようとするのだ。統合失調症患者が契約に固執するのは、このためなのである。キング・クリムゾンは、名作『クリムゾン・キングの宮殿』において、その中の「クリムゾン・キングの宮殿」が告げていたように、バロック悲劇を目指す音のアレゴリーを模索した結果、その世界は統合失調症的に隣接し、神経症的音楽はピンク・フロイドの『狂気』にこそふさわしい。
 境界例は自己の契約不履行であり、自閉症は自己と私との契約の不成立であって、そして、自殺は私の側から自己との契約解消の表明なのだ。例えば、境界例的な人は、通常、恋愛にあると、一緒に二人の関係だけの約束を結んでいくが、そうした規則の生まれるのを嫌がり、それを破ろうとし、二人の間を刹那の連続する関係にしようとする。言うまでもなく、誰でも関係がマンネリに陥るのを避けるために、規則を無視したくなることはあるが。稀に、自己と他者が、直接ではないけれど、直接的に契約を締結することがある。それがニーチェの「超人」にほかならない。「文化への信仰を告白するものはいずれも同時にこう発言する、『私は私の上に、私自身があるよりももっと高い、もっと人間的なものを見る。それに到達するように、みんな私を助けてくれ、私の方も同じものを認識し同じものに悩むあらゆる人を助けて上げたい。認識においても愛においても、直観においても能力においても自己を完全で無限だと感じ、事物の審判者であり、その価値測定者としての自己の全体を挙げて自然に固着し、自然のうちに存在するような人間がついに再び現われ出るために』と。誰かをこのようなもの怖じせぬ自己認識の状態に置くことは困難である。なぜなら愛を教えることは不可能だからだ。けだし、愛においてのみ、魂は自己自身に対する明晰な、自己を分析し蔑視する眼差しを獲得するのみならず、自己を越え出て直観し、どこかにまだ隠されているより高い自己を全力を挙げて求めんとする熱望をも獲得するのである」(ニーチェ『反時代的考察』)。
 統合失調症を症状によってここで紹介することはできない。犯罪者に対して行われる精神鑑定は経過ではなく、症状で定義するのだが、個々の症状が病像全体を表象することは決してないのである。例えば、統合失調症患者が神経症や躁鬱病の症状を、特に初期においては、表わすことは少なくないのだ。いわゆる症状が出なくとも、生き方が統合失調症的であれば、その人をそう分類することは可能である。精神医学が医学に属するのであれば、症状だけに目を向けて、診断するのは、インフルエンザと食中毒の消化器症状を区別することだけで病名を判断するのが困難であるように、まさに狂気の沙汰なのだ。また、脳の病であるという見解に基づいて統合失調症に関しては主として薬物治療が行われるわけだが、破綻しないかぎり、もしくは破綻に向かわないかぎり、なるべくなら、精神療法はしないほうがいい。安打製造機とも奇行奇言の人とも呼ばれた榎本喜八は、かつて二週間ほど続いたプロのバッターとして最高の状態が終わった際、それを「壊れた」と表現したが、「壊れた」とき、人は「足元が揺れ、崩れ」、同時に、「内部にもその揺れが伝播し」、内側から「照らしていた火がフッと消えてしまうような、心細く、心もとない、孤独なものを感じる」(岡崎満義『榎本喜八』)。精神科医は、プロ・スポーツのプレーヤーがプロの生活が長くなればなるほど身体が強くなると同時に繊細になるように、それが長くなればなるほど、病気を見つける能力が高くなると同時に日常性が見えなくなってくる。
 重要なのは、何の病気かと診断することではなく、その人が充実して生きられるかどうかなのだ。人には誰でも、程度の差こそあれ、統合失調症的や境界例的、躁鬱病的などといった要素がある。精神病はそれらの多様な組み合わせによる症候群である。例えば、いくつかのタイプの統合失調症の患者は比喩表現を字義通りとらえたり、その逆だったりするが、それは、病気の程度と生活破綻に応じて、理解できる領域が異なる。彼らはもともと好きだったり、切実な諺ほど比喩として受けとるが、要領のよさを表わしたものほど字義通りとらえる傾向にあるのだ。代理人交渉のスタイルであることは依然として変わらないが、この契約は自己と私の間に結ばれた共同契約に基づくものであり、他者の側が提示された条件を、新たに創造されたものであるから、飲むことになる。野村克也は江本孟紀・門田博光・江夏豊を監督として出会ってきた三大悪党と呼んでいたけれども、私と自己はたんに善悪の対立にとどまっているジキル博士とハイド氏の関係に類似しているわけではなく、この場合、自己というディオニュソスが私というアポロと他者の調停案を考え出し、それを私が他者に示す。自己は間接性に問題があるわけではないということは了承している。自己が要求するのは自己と私の契約内容の変更なのである。「主観という『アトム』はない。主観の領域はたえず増大しつつあるか減少しつつあるかであり、体系の中心点はたえず変動しつつ在る。主観がわがものとした素材を有機化しえない場合には、それは二つに分裂する。他方それは、おのれより弱体の主観を、それを破滅しつくすことなく、おのれの機能へと改造し、ついには或る程度までそれと合体して一つの新しい統一を形成することができる。主観は『実体』ではなく、むしろそれ自体で強化へと努力するものである。しかもこのものは間接的にのみ自己を『保存』しようと欲する(それは自己を凌駕しようと欲する−−)」(『権力への意志』四八八)。
 『檸檬』に戻ってみると、「何のことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ」という時点においては、主人公は「錯覚」によってアポロ的に世界を形象化しているだけで、ディオニュソス的な破壊=陶酔=一体化にまで至っていない。アポロ的な側面のみによるそうした近代認識論に対する破壊の企ては、「現実の自分自身を見失う」ことによって、すなわち「錯覚」によって達成されているにすぎず、不十分であり、厳密には失敗である。ディオニュソスよりもアポロのほうが優勢で、混沌は秩序によって整理される。私が権限を強く行使して、自己を抑圧し、隠蔽する。「通常仮象と美を唯一の範疇として理解されるような芸術の本質からは、まともに悲劇的なるものを導出することは全く不可能である。音楽の精神から、われわれははじめて固体の破壊にたいする歓喜を理解するのである。というのは、かかる破壊の個々の実例によってわれわれに明らかにされるものは、いわば個別化の原理の背後に潜む意志の全能を、すなわち、あらゆる現象の悲願にあっていかなる破壊にもめげざる永遠の生を、表現するディオニュソス的な芸術の永遠の現象にほかならぬからである」(『悲劇の誕生』)。
 それゆえ、『檸檬』の主人公はそうした時間や空間を最終的に爆破することを次のように思いつくのだ。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒し終って後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味っていたのであった。……
 「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試して見たら。「そうだ」
 私にはまた先程の軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当り次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取去ったりした。奇怪な幻想的な城が、その旅に赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれは出来上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の諧調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまってカーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイディアが起った。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。−−それをそのままにしておいて私は、何喰わぬ顔をして外へ出る。−−
 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛て来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。
 私はこの想像を熱心に追及した。「そうしたらあの気詰りな丸善も粉葉みじんだろう」そして私は活動写真の看板画が奇体な赴きで街を彩っている京極を下って行った。
 「カーンと冴えかえっていた」状態に至る直前、擬態語や擬声語が増し、不協和音を奏で、そのクライマックスを盛りあげる。これはザ・ビートルズの『ア・ディ・イン・ザ・ライフ』におけるピアノの一叩きのクライマックスに向かう不協和音の上昇を思い起こさせる。『瀬山の話』においては、「見わたすと、その檸檬の単色はガチャガチャした色の諧調を、ひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、輝き渡り、冴えかえっていた」となっており、「カーン」という言葉がないため、「檸檬」は十分に爆発し得ていない印象を与える。「檸檬」は混沌とした生成の世界を「紡錘形の身体の中へ吸収」して、解釈・評価し、「カーン」と陶酔への意欲を発する。
 この爆発の状態はオルガスムス的ではなく、ベーブ・ルースのホームランのように、「持続する高水準の状態」(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』)である。性を、不幸にも、オルガスムスとして理解しているがゆえに、それを抑圧し、隠蔽する。しかし、性は陶酔状態の感動を創造するのである。一五〇〇グラム、三六インチもあるバットを手に、「彼が打席に立つと、相手チームのバット・ボーイがプレゼントと称して、綺麗な包み紙にリボンまでついた箱を持ってくる。ルースが受け取り、何かと思ってその場で包みを解くと、それはびっくり箱で、なかからゴム人形が飛び出す。そして、場内が笑いに包まれたあと、彼がどでかいホームランを打つ」(『プロ野球大事典』)と、殺人打線の三番ベーブ・ルースの次を打ち、「鉄の馬」と呼ばれたルー・ゲーリッグによれば、「私がバッターボックスに入っても、スタンドはまだベーブのホームランのざわめきが消えない。いつもそうだった」のだ。一九二七年にルースは六〇本塁打を放っているが、アメリカン・リーグのほかの七球団のチーム本塁打数はいずれも彼一人の数字に及ばない。これはそのシーズンのア・リーグの総本塁打数の一三・七%を占めているのであり、今の日本のプロ野球であれば、一二〇−一三〇本塁打を打っている比率なのである。ニューヨークのコロンビア大学の教授だったジョン・デューイは、ルースを意識して、『経験としての芸術』において、「人間の経験における芸術の源泉は、野球のプレーヤーのピンと張りつめた優美さが見ている群衆をいかにして感染させるのかということを知る人によって学びとられるであろう」と述べている。
 持続性に乏しいはずの梶井の作品はクライマックスでは、逆に、持続を提示する。それは連鎖の幻影、余韻である。芸術の時間性はたとえ瞬間的転調を示したとしても、刹那的であることはない。「芸術作品の影響は、芸術を創造する状態を、陶酔を、誘発することである。芸術の本質はあくまで、それが生存を完成せしめ、それが完全性と充実を産みだすことにある。芸術は本質的に、生存の肯定、祝福、神化である……ペシミズム的芸術とは何を意味するのか? それは一つの矛盾ではなかろうか?−−然り。−−ショーペンハウアーは、或る種の芸術作品をペシミズムに奉仕させるとき、誤っている。悲劇は『諦念』を教えるのではない……怖るべき疑わしい事物を描きだすということが、それ自身すでに芸術家のもつ権力や歓喜の本能である。芸術家はそれを恐怖することはないからである……いかなるペシミズム芸術もない……芸術は肯定する」(『権力への意志』八二一)。こうしたニーチェの主張は、彼自身の主要な手法がアフォリズムという短型であることからも、強調されよう。芸術は、陶酔を通じて、永遠へ回帰するのだ。「檸檬」は「陶酔」を誘発している。そして、主人公は、陶酔のさらなる持続を可能にせんがために、「奇怪な悪漢」、すなわち爆弾テロを行う愉快犯のように、「檸檬」を仕掛け、気づかれずに出ていく。
 この「檸檬」は高村光太郎が『レモン哀歌』で歌った悲しく寂しい「レモン」ではない。
I should have quit you,
Long time ago.
Yeah,
Long time ago.
I wouldn't be here, my children,
Down on this killing floor.
I should have listened baby,
To my second mind.
I should have listened baby,
To my second mind.
Every time I go away and leave you darling,
You send me the blues way down the line.
Treat me right baby.
People telling me baby,
Can't be satisfied.
They try to worry me baby,
But they never hurt you in my eyes.
Said people worry,
I can't keep you satisfied.
Let me tell you baby,
You ain't nothing but a two-bit no-good jive.
Went to sleep last night,
Worked as hard as I can.
Bring home my money,
You take my money give it to another man.
I should have quit you baby,
Such a long time ago.
I wouldn't be here with all my troubles,
Down on this killing floor.
Squeeze me baby,
Till the juice runs down my leg.
Squeeze me baby,
Till the juice runs down my leg.
The way you squeeze my lemon,
I'm gonna fall right out of bed.
I'm gonna leave my children down on this killing floor.
(Led
Zeppelin “The Lemon Song”)
梶井にとって「檸檬」は、レッド・ツェッペリンが「おれのレモンを、落ちてゆくまで、しぼってくれ」という歌詞の『レモン・ソング』において「レモン」を、はりつめた緊張感の中、激しく重厚で金属的な音によって、ある世界の破壊として表現したような意味で、武器なのだ。言ってみれば、それは「チェリー・ボム」ならぬ、「レモン・ボム」であろう。ちなみに、われわれは、生まれ変われるなら、ランナウエイズに入り、ランジェリー姿になって、『チェリー・ボム』を歌いたいと思っている。
Can't stay at home, can't stay in school
Old folks say ya poor little fool
Down the street, I'm the girl next door
I'm the fox you've been waiting for
Hello daddy
Hello mom
I'm your ch ch ch
Ch cherry bomb
Hello world, I'm
Your wild girl
Ch Ch Ch
Ch cherry bomb
Stone age love, and strange sounds too
Come on baby, let me get into you
Bad nights causin' teenage blues
Get out now, 'cause you've got nothin' to lose
Hello daddy
Hello mom
I'm your ch ch ch
Ch cherry bomb
Hello world, I'm
Your wild girl
Ch Ch Ch
Ch cherry bomb
Hey street boy, ya want some style
Your dead end dreams don't make you smile
I'll give you somethin' to live for
Have ya, grab ya till you're sore
Hello daddy
Hello mom
I'm your ch ch ch
Ch cherry bomb
Hello world, I'm
Your wild girl
Ch Ch Ch
Ch cherry bomb
(The Runaways “Cherry Bomb”)
 この爆発が現実世界ではなく、想像的世界において起こっていることに注意しなければならない。犯罪的なるものに対する好奇心から、あるいは自己の問題を解く鍵としてその世界を描く文学者は多いが、梶井はそれに無関心である。この違いは大きい。彼が破壊したいと望むのは「不吉な塊」であって、外的世界ではない。梶井は内と外の区別を超えた「内」を見ているのである。梶井は、犯罪者的なるものたちと違って、外的世界と内的なものを同一視することはない。ここまで、何度も、病気や犯罪を比喩として用いてきたが、これは差別・偏見を助長するためではない。われわれは緑内障であるから、「近視眼的」や「視野が狭い」という比喩的表現に触れると、ちよっと悲しくなる。けれども、病的な健康よりも健康的な病のほうが、はるかに、マシであり、犯罪者に対する人権を無視した差別も病的であることをわれわれは認識しなければならない。「檸檬」を置いた後の梶井の精神状態は、ドストエフスキーが告白しているような癲癇患者の壮快感と類似している。癲癇患者は色彩に強く反応し、現実が「ガチャガチャ」していれば、それが肌にせまり、発作が起きやすいが、何もない「カーン」とした無葛藤の部屋の中では精神状態が安定するのである。癲癇に対する偏見はあまりにも馬鹿げている。そもそもわれわれは癲癇患者のような体験をある場所でよくしているし、むしろ、それを味わいたくて、集まっているのだから。中井久夫によると、その場所はディスコとかクラブである。癲癇に限らず、精神病者に対する差別・偏見を持っているものは自己を認識するという行為を怠惰にしているのだ。犯罪が、死や狂気と同様に、連続している日常性を遮断するものであるという思いこみはペシミスティックな悪い冗談にすぎない。犯罪者について書かれた、もしくは犯罪者として書いた作品の中で、ジャン・ジュネの『泥棒日記』は例外的にそうした「愚痴とナゲキのパノラマ」(寺山修司『地球をしばらく止めてくれ ぼくはゆっくり映画を観たい』)からまぬがれている。確かに、梶井の主人公は、ジュネやボードレールの作品と同様に、パロディーめいた聖性があるが、彼は「愚痴」も「ナゲキ」も口にしない。破壊は、梶井にとって、よりよく生き抜くための方法なのである。
あるいは、「檸檬」が「カーンと冴えかえっていた」のは、アービン・ラングミュアが一九二三年に命名した「プラズマ」の比喩かもしれない。物資は、通常、固体・液体・気体の状態を持つが、気体に電界などによってエネルギーを与えられると、電子が原子や分子から離れて、気体の中を自由に動き回れる電子とイオンの状態になる。この第四の状態を「プラズマ」と呼ぶ。「使い古されたこれらのチューブ(ガラス球)の中の現象は、物理学の新しい世界──物質が第四の状態で存在する可能性の世界──を見せてくれる」(ウィリアム・クルークス卿)。固体が「土」、液体が「水」、気体が「気」であるとすれば、プラズマは「火」であろう。それはヘラクレイトスが見た万物のアルケーとしての「火」でもある。宇宙にある星は、太陽を含めて、ほとんどがプラズマである。蛍光灯の中にもプラズマは使われているし、テレビやパソコンのディスプレイにおいても、従来のcathode-ray
tube(CRT)に代わって、赤・青・緑の光を放つ多数のマイクロ蛍光灯によって構成されるプラズマ・ディスプレイ(PDP)の実用化が目指されている。さらに、プラズマは、電子工学がナノテクノロジーからアトムテクノロジー入ろうとしている現在、広い領域で非常に注目されている。『檸檬』をアトムテクノロジー的に読むとき、「檸檬」がプラズマであると導き出されるだろう。超高温プラズマ、移動縞、プラズマ・ドーピング、高周波プラズマ、もしくはプラズマ内のトンネル効果? おそらく「カーン」はプラズマ中のトンネル効果のオノマトペ…
 「檸檬」は「レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色」そして「あの丈の詰った紡錘形の格好」と描かれている。主人公が爆破に使う「檸檬」は、「カーンと冴えかえった」色彩によって世界を破壊し、すべてを一体化する。「光そのものに色がついているということではない」(ニュートン『光学』)。色は、ベンサムのこまを見るまでもなく、知覚であり、ロールシャッハ・テストを考慮するまでもなく、心理現象なのだ。色の見え方は、その意味で、主観的である。デカルトの延長は数量による分節を前提にしているが、色の分類は依然としてユークリッド的である。
 アメリカのマンセルは、一九一五年、色の種類(色相)・鮮やかさ(飽和度)・明るさ(明度)という色の三属性を利用して、色を立体によって分類することを考案した。マンセル以外にも、オストワルトやティチナーなど色を分類化したものは少なくないが、たんに幾何学的整合性にのみ固執せず、感覚的な配置も導入しているマンセル系ほどの成功をおさめることはなかった。マンセルの扱った対象は物体色であって、光源色ではない。
 色はさまざまな角度から論じられ、今日ではその議論の形成する形はかなり複雑である。色は、文化や言語によって意味や語彙が異なることを含めて、色彩論によって広範囲かつ周到に考察されている。色について考えることは、確かに、知的好奇心をそそる。赤や黄色の暖色は、青や緑の寒色に比べて、同じ面積の色紙でもより大きく見えることから、前者を膨脹色、後者を収縮色と呼んだり、また、前者は後者より突出して見えるので、前者を進出色、後者を後退色とも呼ぶことがある。ちなみに赤と緑、黄色と青は反対色性にある。レオナルド・ダ・ヴィンチは反対色を活用すると、色が響きあい、その絵は見栄えすると反対色の使用を勧めている。太陽の光は最も飽和度が高い。色には三色性がある。それはいかなる色であっても互いに独立した三つの色を適当−−加法混色や減法混色−−に混ぜあわせれば、つくることができるという性質である。クオークの電気の性質も赤・青・緑の三色を譬えとして用いている。三色性を利用した分類として国際照明委員会の勧告するXYZ表色系があげられる。パンジーの花に酢といった酸性溶液をかけると赤くなり、重曹水のようなアルカリ溶液だと青く変色する。さらに、自然の花は、たいてい、もっと複雑である。紫陽花の花は赤や青があるが、どちらも色素は同じなのだ。アルミニウムを吸収すると、紫陽花は青い花になるのである。桜の樹の下には屍体が埋まっているが、青い紫陽花の下にはアルミニウムの成分が土や水に含まれているのだ。
 花の色において、全体の三二%を占めている白い花にはアンモニアなどのアルカリ性の気体に触れると黄色に変色する性質がある。この白い花の色素は、実は、透明である。細胞の隙間に入った空気が光を乱反射するために、人には白く見えるのである。花の色には人に見られるのではなく、昆虫を集めて受粉してもらう目的がある。蜂は紫外線は見えるが、赤い色が見えないので、青い花に集まり、赤い花には見向きもしない。そして、赤い花には蝶が集まってくるのである。
 その上、野菜や果物の色は紫外線から種・実を守るためのものだが、その色素には、人間の健康にとっては、色に応じて、解毒作用を中心としたさまざまな効用がある。最もプリミティヴな色である緑はクロロフィルによるものであり、増血作用がある。紫は視力低下に有効であるアントシアニンである。茶色は、夏ミカンやグレープフルーツも含まれるが、血管を強くするフラボノイドである。黄色はカロチンであり、呼吸器系の免疫力を高める。赤はカロチンと同じ効果もあるし、さらに子宮ガンにも有効な色素のリコピンである。カロチンとリコピンは合わせて摂取するとその力が増加する。ただし唐辛子の赤は免疫力を高め、脂肪を減らすカプサンチンである。梶井が檸檬を求めたのもこの色の効用への直観によるとわれわれは考えなければならない。
 こうした直観に基づいて梶井は色を単純にとらている。梶井が色を通じて発しているのは巧みさではなく、病気と健康の対立を超える丈夫な強さである。「健康である前に、まず丈夫でなきゃいけませんですよ。健康と丈夫は違うんでございます。健康であるためには、正しい食事のとり方、睡眠を十分に規則正しくとるなどと言いますですが、立って食事をしたり、夜中どころか朝まで働いて、こういう厳しい状況に、耐えられるには丈夫でなければなりません」(いかりや長介)。ヨーロッパと中東の文化が融合し、デヴィッド・シルヴィアンが坂本龍一のNHK・FMの番組『サウンド・ストリート』で日本に紹介した女性だけのアカペラ・コーラス、すなわちブルガリアン・コーラスで知られるブルガリアでは、「Здравейте!(健康であれ!)」が英語のハローのごとく最も一般的な挨拶として使われているが、「丈夫」とは、反復しても、磨耗したり、疲労しないことである。子供は繰り返しを厭わない。むしろ、繰り返しを肯定的に望み、そこから喜びを感受する。反復に耐え得る成熟を子供は持っているのである。「世界の運行は駒を動かして遊ぶ子供である。子供の王威よ」(ヘラクレイトス)。
 梶井はアポロ的な形象をディオニュソス的である「丈夫」な色彩によって破壊する。梶井の作品を覆っているのは、くすんだ地味な色彩でもなく、エスニック調の色彩でもなく、ドロドロとした暗い色彩でもなく、淡いパステル調の色彩でもなく、ギラギラと光る華やかな色彩でもなく、この「冴えかえった」色彩である。近代認識論に基づく遠近法的な時間・空間はその色彩によって完全に無効になる。
 梶井は、日本近代文学において、最も色や光に敏感に反応した作家である。ピアジェは、『知能の誕生』において、幼児ローランを観察したケースを紹介しているが、「生後一週間の終わり頃から」、光るものに対して強い関心を示すようになるが、「一ヵ月の終わり頃になると」、「視線のやり方に進歩が見られ、状況が変わる」、と報告している。梶井は幼児のように光に反応する。「檸檬」が破壊するのは近代認識論的な時間・空間だけではない。梶井の用いる色そのものがすでに近代遠近法批判を帯びているが、そこには危険性をはらんでいる。
 それは、梶井の作品はさまざまな色に覆われ、それらはある種の幾何学的な配置にあり、梶井の色の幾何学は近代認識論的ではないが、色はそれぞれの色どうし互いにアポロ的関係を構築しているという危うさである。アポロ的なるもののみによるスタティックな世界把握は近代認識論からもたらされた認識にすぎない。ディオニュソス的なるものを隠蔽し、アポロ的なるものだけをギリシア文化として認定してきたのは、ニーチェが『悲劇の誕生』で明らかにしたように、近代認識論の歪曲である。色そのもののみでは近代認識論批判は不十分なのである。梶井の冴えかえった色彩はそうしたすべての色を飲みこみ、その幾何学を解体する。つまり、「冴えかえった」色彩はディオニュソス的なるものである。
 さらに、「小児は一度は玩具を放り出すが、やがて無邪気な気まぐれに取り上げる。しかし築くとなれば、子供は、法則に従い内なる秩序に従って結び合わせ、接ぎ合わせ、形づくってゆく」(『ギリシア人の悲劇時代における哲学』)。なぜ梶井がつみあげた本をディオニュソス的に破壊するのかと言えば、あまり深刻に物事を思いつめることを斥けるためである。人は深刻に、それも道徳的に考えすぎる。梶井は子供のように無邪気に世界を築きあげ、破壊する。志賀直哉などと違って、気分ではなく、それはあくまでも内的秩序に従っているのだ。乱数表のようなデタラメは、人間には、それぞれ意識されていない偏りや癖があるので、境界例的世界の賛美者がいかに願っても、ありえない。子供が遊ぶのはただ楽しいからであって、それ以上の理由は不要である。遊ぶことのできないことは、子供にとって、言いようのないほどの苦痛なのだ。志賀は不快だから他者に八つあたりするが、梶井は楽しいから構築した世界を壊すのである。梶井は、子供と同様に、生きたいのだ。梶井は肯定的な、すなわち自己規定的な原理に基づいて価値評価を行うのに対して、志賀は否定的なものの反動として基準をうちたてる。不快という受動的・否定的なものに対する反動が志賀の行動のすべてである。私小説家たちは創造することもせず、破壊だけをする。一方、梶井には、破壊は創造と同じくらい楽しいのだ。それは陶酔の状態にほかならない。つまり、梶井の檸檬はプロメテウスの火なのである。
 われわれは、梶井やカフカの作品のような、統合失調症的世界を具現化したものを、初めは驚き、とまどったとしても、読み進むにつれて、受け入れられるようになる。と言うのも、それはリアルだから、すなわちなさそうでありうる話だからである。一方、ルイス・キャロルの作品のように、境界例的な作品には、われわれはありそうでなさそうな印象しか抱けず、リアルとは感じられない。境界例的世界はどこかおかしいという疑念の入りこむ余地があるのに、統合失調症的なものでは、懐疑が生じても、すぐ納得に転換してしまう。
 人間は、一般的には、子供のころには、統合失調症的であり、青年期には、境界例的で、大人になると、神経症的になる。子供の生は肯定的であるが、青年期のものは、子供のころへの反発があるため、否定的である。われわれが統合失調症的世界に生々しさを覚えるのは、それが子供の時代に感受していた現実の感触を想起させるからである。そして、われわれはその感触の反復から、過ぎ去ったすべてのものを破壊という陶酔によって忘却し、現にある一瞬一瞬を全力を尽くして「丈夫」に生きるようになる。
 慣例として、純文学の作品を論じるのには、ふさわしくないような猥雑なカルチャーに言及しているとわれわれを非難する声が聞こえてきそうだが、『檸檬』の主人公が丸善から、「活動写真の看板が奇体な赴きで街を彩っている京極を下って行った」ことに注意しなければならない。梶井の作品はこうした猥雑さの中から高貴なるものと卑俗なるものとの区別を超えて「高貴」たるのである。彼の世界は不純なるものを排除した無菌室ではない。そんな世界すらも「檸檬」は破壊するのだ。
 梶井の作品は、『檸檬』に限らず、「檸檬」の爆発のヴァリエーションによって終わりを告げる。梶井の作品はアポロ的なるものへの違和によって幕を開け、ディオニュソス的なるものによる破壊=一体化によって幕を閉じる。梶井の作品が日本近代文学に対して奇妙な違和感を漂わせてしまうのは、それが日本近代文学をアポロ的なるものとして把握することを拒むディオニュソス的なるものとして機能しているからである。梶井の作品に失敗作は、詩人の容姿は「檸檬」と言うよりも、じゃがいもを思い起こさせるが、一つとして存在しない。と言うのも、彼は能動的・肯定的なものを価値基準とし、それを貫徹しているからである。
 梶井の作品は日本近代文学をある特定の起源から始まり、そこからの連続的な記述とする解釈を相対化する。日本近代文学を個体化・秩序化しようとすると、彼の作品は、「檸檬」のように、「カーンと冴えかえった」色彩を放ち、それを「粉葉みじん」に爆破してしまう。
 梶井は、カフカと同様に、文学的だけでなく、哲学的にも非常に重要な書き手であるが、その可能性が十分に汲まれているとは言いがたい。梶井の作品は、文学を自立したパースペクティヴにおしこめる企ても、破壊する。梶井の作品は日本近代文学への総体的な批判へと導く手引きとなるのである。それは、彼の作品のタイトルを拝借するなら、「矛盾の様な真実」なのだ。つまり、梶井の作品は日本近代思想史における「檸檬」にほかならない。
〈了〉